2012年5月

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手書き原稿は「燃えない」どころかその場限りで朽ちやすい、と先日述べたが、手稿は扱いに際して非常に慎重でなければならないことを知らないヒトがいるようだ。

アーカイヴはそもそも「管理者」という存在があり、その「管理者」から厚意なり信頼なりをいただいてはじめて、文書へのアクセスや公表を許される。

アーカイヴ作業はただの文書発掘作業ではない。文書の最前線で管理していらっしゃる方々、それを書き残した人物の縁者や専門家たちとのコミュニケーションの賜物である。

いくらネットで手軽に情報を得られるからといって、こういうデリカシーは、ものを書き残すヒトがいるかぎり、守られるべきだ。勝手に土足で踏み込むことは許されない。

ネットに公開するリスクは、私も十分理解してはいる。とはいえ、こちらの信頼をいいことに「裏口」から、それも同業者から土足で踏み込まれるのはやはりやりきれない。

手書き文書、手稿のイミをわかっていない自称・専門家はこの国(ばかりでもないだろうが)に意外と多いのじゃないか、そんな気がする。恥を知れ、といいたい。

研究と、フラットな情報共有とでは、意味が大きく違うことがなぜわからぬのか。一人で専門情報を占有しているのもつまらないが、勝手口から押し入られるのも困る。
「比較文化論IV(日・ロシア)」講義用プリントをアップします。


講義時のPowerPointだけではカバーしきれないと思いますので、必要なヒトはプリントアウトして利用してください。

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ロシアの昨日は大統領就任式、明日は「勝利の日」、対独戦争における戦勝記念日だ。近頃のモスクワは連休であるほかにも、なにかやたらに騒がしい。

「原稿は燃えない」--モスクワに悪魔が跋扈するブルガーコフの名作『巨匠とマルガリータ』で、自作発表の路を閉ざされた「巨匠」が何度かつぶやく有名なコトバだ。

アフマートワの詩やショスタコーヴィチの音楽とともに、スターリン独裁期に表現者・創造者がこうむった殉教神話の一部として、私たちはこのコトバを認識している。

ところが、長きにわたって多少とも「文学研究」らしきものに手を染めているうちに、必ずしもそう言えないのではないかという疑いが私の中で大きくなってしまった。

どこかしら、こういう「神話」「通念」に慣れすぎてしまっている、狎れてしまって省みない無責任なところがありはしないか。はたして本当に「原稿は燃えない」のか。

物理的に云えば、どんな作品であろうとも、時間とともに風化していく。いかに化学処理を施したところで、「原稿」が土にかえるプロセスを完全に止めることはできない。

ロシアのアーカイヴを現に自分で掘り出す(文字通り考古学者のように反古の中から「発掘」する)ことに慣れてみると、たった50年前の文書ですら痛みの激しいことに驚く。

学問への国家の助成が十分でないためであろうか、保存状態もお世辞にも良いとはいえない。なかにはページをひらくと同時に、空気に触れて目の前で滅びていく文書もある。

それから、現在世界中にはびこる金儲け主義のせいなのか、貴重な書籍をあつめた文学者の書庫がレストランになるなどという野蛮な風潮も、モスクワで見聞きする。

イワーノフ=ラズームニク(1878-1946)はロシアの文芸批評家だ。『ロシア社会思想史』(1907)をはじめ多数の著書を残したが、その業績は日本で知られていない。

思想的ルーツをたどれば、彼は1840年代のベリンスキーやゲルツェン、1860年代の「雑階級人」ピーサレフ、さらにラヴローフ、ミハイロフスキーなど1870年代のナロードニキ運動の流れを直接受け継ぐ典型的な「ロシア知識人(インテリゲンツィア)」だった。

とはいえ、ロシア文学研究史に彼がのこした業績は、単なる著作にとどまらない。

今日の私たち、とりわけ象徴派のブロークやベールイを研究する者たちにとってイワーノフ=ラズームニクの存在が途方もなく大きいのは、彼がたゆみなく緻密に彼らの手稿や書簡を整理・保存し、書かれたものはもとより生きた証言・記憶を駆使しながら、作品一つ一つの「歴史」について丁寧な注釈をのこしてくれたからである。

1923年、ブロークとベールイについての論集『頂上』を最後に、イワーノフ=ラズームニクの著作が出版される可能性は絶たれた(ちょうどアフマートワの作品が出版されなくなったのと同時期)が、それと同時に彼は精力的に、1921年にこの世を去ったブロークの遺稿整理と全集の出版準備にとりかかった。

ブロークの死後最初の全集全12巻は、イワーノフ=ラズームニクの編集によりレニングラード作家出版局から1931年から出版されはじめたが、最初の7巻でその仕事も途絶する。1933年2月に彼が当局により逮捕されてしまったからだ。

イワーノフ=ラズームニクの手元には詩人自身の手書き原稿はもとより、手稿をもとに書き上げた膨大なページの注釈があったのだが、逮捕とともに他人(ヴラジーミル・オルローフ)の手に渡り、編集者名にも注釈者名にも彼の名前が明記されることはなかった。

1960年代に出たブローク8巻全集は、イワーノフ=ラズームニクの20年以上にわたる膨大な仕事を「横領」した結果だとも云われる。

現在ブロークの20巻全集が刊行中だが、これは過去の歪みをただし、イワーノフ=ラズームニクの業績を正当に評価するための一大事業である。

しかしながら、1930年代の「大粛清」と1940年代の対独戦争(「大祖国戦争」)を経た今日まで伝わっているイワーノフ=ラズームニクのアーカイヴは、全体のごく一部だけである。

ブロークやベールイをはじめ、イワーノフ=ラズームニクの手元に保管されていた膨大な量におよぶ同時代作家たちの手稿、書簡、日記のたぐいが「燃えて」しまったのである。
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1931年6月19日、鳴海完造が初めてアンナ・アフマートワを訪問した際、詩人が鳴海に話した内容を記した雑記帳が最近出てきたという。

そのコピーを管理者の中村喜和さんからいただいた。

それによるとアフマートワは鳴海に、自分についてはもとより最初の夫で詩人のグミリョーフとその仲間たちについて話した模様である。

1921年に処刑されたグミリョーフの作品とその生涯について、自分の生い立ちと作品について、またブリューソフやブロークなど先輩詩人たちについて語っている。

今日の「専門家」の眼から見ればとりたてて新しくもない内容かもしれないが、重要なのは日本のロシア文学研究者が直接詩人から「聞き書き」を起ちあげていることである。

鳴海の日記の記述そのものでは、詩人とさほど突っ込んだ話をしたようにも思われなかったが、こうして実際の会見メモを見ると、話がかなり多岐にわたっていたことがわかる。

アフマートワの詩が日本でいつどのように受容されはじめたのか私は知らない。とはいえ出国前からアフマートワの作品に注目し、実際に話しに行った鳴海に私は深く共感する。

文学は「書物」だけではない。同時代のリズム・共振だ、そう鳴海が語りかけてくるような気がしている。

それを知るためのメソッドを、鳴海の書きものは教えてくれる。

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フェイスブックを通じて、モスクワのチェーホフ博物館から上のようなアンナ・アフマートワ(1889-1966)の写真が回覧されてきた。

写真は1924年、レニングラード近郊のシーヴェルスカヤ Сиверская で撮影されたものらしい。まるで1960年代末のアメリカ女性(Joni Mitchell)のようにも見える。

病弱の、どちらかと言えば身体の線の細い女性かと思い込んでいたが、かなり骨太のがっしりした体格の女性だったようだ。

髪を解いてソファーに寝転んだ姿はさながら雌ライオン、モローかクノップフのスフィンクスのようにも、モディリアーニの裸婦像のようにも見える。

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本で、たとえばこのペトローフ=ヴォートキンの肖像(1922)のようなアフマートワを見知っていた私には、上のようなアフマートワの姿態はひたすら肉感的に感じられた。

正直言って、アフマートワは私にとって「尊敬する大詩人」であることは勿論だが、それ以上の実在感を持ち得ていなかった。その〈受苦〉は途方もなく、私には近づけない。

彼女の書きものになんらリアリティを感じてこなかった。詩は詩にすぎず、アフマートワは私にとって「本」にすぎなかった。そこに「声」はあっても「肉体」はなかった。

寝転ぶアフマートワの姿態に衝撃を受け、はじめて声に出して彼女の1924年の詩を読んでみた。今まで気づかなかった彼女の肉体的リズムが聞こえてきたように思われた。

詩はリズムだ、そう言われて異論を唱えるものはいまい。ただ詩は、肉体の奥深いところからこんこんとあふれてくる、ダンスのようなリズムなのではないか。

私の場合なんらかの「肉体」的要素、たとえばあるヒトのふとした動作やコトバのクセ、体臭のようなものをつかまえないと「詩」を感得することができない。

「詩」は「意味」ではない、「イメージ」でもない、「肉体」だと言おう。アフマートワの「肉体」の実在感に、しばらく茫然としていた。
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一人の男がふとっちょの従者をしたがえ牢獄(=地獄)に降りてくる。教会を侮辱したかどで逮捕されたこの男、ミゲル・ド・セルバンテス、自称詩人だという。

のっぽとふとっちょのこの凸凹コンビ、牢獄で袋だたきになりそうになるが、獄舎の親方の意見で裁判がはじまる。

なに詩人だ?役にも立たない、ありもしない空想ばかりのろくでなしのくせに、との論告に対し、いや待て、有罪にする前に私の話を聞いてくれ。そうだ芝居だ!衣装もある。

舞台は旅籠だ、親方あんたは旅籠の親爺、それからそこのお嬢さん、貴女はアルドンサ、旅籠の料理女だ。従者よ、おまえはサンチョ・パンサ。

私は田舎の郷士アロンソ・キハーナ、またの名、なにをかくそう「憂い顔の騎士」ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャだ!

地獄・裁判・芝居の親縁性。

ボクは松本幸四郎さんの芝居が大好きで、機会があるたび幸四郎さんの歌舞伎を見続けている。なかでも『籠釣瓶』の佐野次郎左衛門と大星由良之助が大好き。

ところが幸四郎さんのミュージカルを観たことがない。うちのヨメが先日『アマデウス』を観に行ってずいぶん感激していたが、ミュージカルと芝居はねえ、だなんて。

しかしながら幸四郎さんは若いとき、1960年代半ばだったか、ブロードウェーに武者修行に行って主演を勝ち得ていたのだね。『ラ・マンチャの男』もその一つ。

そのまま歌舞伎界の御曹司でもいられたのに、ミュージカルで勝負に打って出るなんてそれだけでも凄すぎるが、芝居をジャンル分けせずに取り組む姿勢にずいぶん共感した。

『サウンド・オブ・ミュージック』にしろ『ジーザス・クライスト・スーパースター』にしろ、もともとミュージカルは大好きなのに、舞台で観たことがない。映画ばかり。

さて『ラ・マンチャの男』、はじまりは牢獄へ降りる階段が上から下りてくるところから始まるのだろうか?舞台演出が楽しみ。

アルドンサ役はソフィア・ローレンのイメージがこびりついてしまっているけれど、松たか子さんがどういう演技を見せてくれるだろうか?

きっとあのリズムと歌詞が聞こえてきただけで、ボクはきっと泣き出してしまうだろう。ただでさえ高麗屋の声・口跡を観客席で聞いただけで涙を抑えられないのだから。

この連休、予習に次ぐ予習ばかりだ。メロディー(オリジナル・キャスト版とNew Broadway cast版)をiPhoneに入れ、台本を携え、頭で舞台を思い描き、いやもう感極まってしょうがねえなあ。(T_T)

"To dream the impossible dream,
To fight the unbeatable foe,
To bear with unbearable sorrow,
To run where the brave dare not go...

"To run where the brave dare not to go,
Though the goal be forever too far,
To try, though you're wayworn and weary,
To reach the unreachable star...

"To reach the unreachable star,
Though you know it's impossibly high,
To live with your heart striving upward
To a far, unattainable sky!"

【追 記】
あとで幸四郎さんの御著書『弁慶のカーテンコール』(光文社、2006年)で確認したら、幸四郎さんの『ラ・マンチャの男』ブロードウェー初演は1969年、なんと26才(市川染五郎当時)のときだった。

【追記2】
こういう「劇中劇」の趣向の元ネタはやはり『ハムレット』なのだろうか?
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1931年7月16日・山田耕筰ソ連来演歓迎会(奥に山田、右列半ばに鳴海、左列手前は野崎)。鳴海完造個人アーカイヴ。

1931年夏のジェーツコエ・セローで、鳴海はアフマートワやショスタコーヴィチ、ソレルチンスキー以外にも、数多くのレニングラード在住知識人たちと交際した。

サナトリウムでは演出家のセルゲイ・ラードロフと同室になったり、蝶々夫人を演じた女優に熱を上げて訳詩を贈ってみたり、日記を見るかぎり盛んな社交にうち興じた模様だ。

トゥルゲーネフを直接知る文学者から昔話を聞いて感銘を受けたり、作家アレクセイ・トルストイや社会思想家イワーノフ=ラズームニクと面会したのもこのときである。

それについては追々紹介することにして、まずは鳴海のショスタコーヴィチ、ソレルチンスキーとのエピソードを片付けておこう。

八月四日[1931年]
一時五十三分でレニングラードへ行く。ЛВИ[レニングラード東洋学院]で月給を貰う(92р.)。そこから坂口氏[三菱社員]と電話で話す。「フォトトゥリースト」へ寄って写真を十二枚受取る。〈・・・〉

シャスタコーウィッチへ電話をかけたがобед[お昼]に出た由留守。サレルチンスキイへかけたら折よくдома[在宅]。写真を持って寄る。壁に山田氏[山田耕筰]の写真を中にはさんでその右にシュティードリ[指揮者]、左にクレンペラー[指揮者]のがかけてある。

自分で翻訳したばかりのTalma[Тальма;フランスの俳優]のMemoires[回想]にサインしてくれる。明後日十一時二十分でシャスタコーウィッチと一所に僕の所[ジェーツコエ・セローのサナトリウム]へやってくる様にすすめたら喜んで承諾する。

シャスタコーウィッチへの写真も渡してくれる様にたのんで七時二十分で子供の村[ジェーツコエ・セロー]へ帰って来る。

ここで言われているフランスの俳優フランソワ・ジョゼフ・タルマ(1763-1826) の回想は、ソレルチンスキーの翻訳と序論・注釈で「アカデーミア Academia」から発行された。

八月六日[1931年]
〈・・・〉十二時過ぎにСоллертинский[ソレルチンスキー]とШостакович[ショスタコーヴィチ]がやってくる。もう停車場の前でビールを一ぱいづつ引っかけて来たのだという。室へ案内したついでに忘れない内にと思って例のグルッパ[グループ]の写真へШостаковичに署名して貰う。〈・・・〉

前に掲載したショスタコーヴィチが自筆譜面とともに署名した写真は、おそらくこのときのものだろう。その後三人は酔った勢いでたいへんな悪戯をはじめる。

写真は鳴海にとって、山田とショスタコーヴィチという日ソ作曲家による文化交流史上重要な交歓記念であったのと同時に、若き作曲家とその親友との、カーニヴァルさながらの鬱積したエネルギー発散の機会、乱行・狼藉のいい記念ともなった。

停車場の前の店でブドウ酒1リットルとпечение[ビスケット]一箱を買ってまたпиво[ビール]をのむ。さかなにと思ってпечениеのふたをとる拍子に中からмышь[ネズミ]が飛び出す。中を調べて見ると糞がпечениеの間にころがっている。別のにとりかえてもらってпарк[公園]へ向う。

途中でконьяк[コニャック]の小びん二本を買う。Екатерининский парк[エカテリーナ公園]のпруд[池]で舟をかりて漕ぐ。Ив.Ив.[イワン・イワーノヴィチ;ソレルチンスキー]は舵をとり、Дм.Дм.[ドミートリー・ドミートリエヴィチ;ショスタコーヴィチ]が先ずオールを持つが直ぐ僕が代る。прудの真中へこぎ出してからそろそろカバンのなかからконьякのびんをとり出す。

コルクを抜く役はДм.Дм.ポンと抜けたと云うので皆んな大ハシャギ。すすめられるままに僕から一口ラッパ飲み、それからИв.Ив.最後にДм.Дм.が、すっかりのみ干してからビンを投げ込むと初めは横になって居たが間もなく少し中へ水が入ると一寸首だけ出して真直に浮く。

"Хуем стоит!"[チ◎ポみたいに立ってらあ!]と叫んで喜ぶ。

"Палладиев мост"[パラーダの橋]の下の小さなアーチをくぐりそこの両側へ鉛筆で楽書をし始める。Ив.Ив.は"У Чулаки хуя нету"[チュラーキ(作曲家)にはチ◎ポがない]其他、Дм.Дм.は"Хуй"[チ◎ポ]、僕は"Пизда"[マ◎コ]と書きつける。まるで立派なХулиган[フーリガン;不良]ばかりだ。

島へあがる。Ив.Ив.は素裸になって泳ぎ出す。Дм.Дм.にすすめたが水が汚ないといって止す。Дм.Дм.[ママ]もこんな汚ない水で泳いだのは生れて初めてだと云う。

彼らが残した楽書きが現在も残っているか、不明である。確認したい。

Александровский Дворец[アレクサンドル宮殿]のресторан[レストラン]でужин[夕飯]をたべる。それからШапорин[シャポーリン]の所へ出かける。山田氏出発の際停車場へ見送りに来ていた若い作曲家のБерезовский[ベレゾフスキー]と同じく作曲家のПопов[ポポーフ]が居る。

しばらく話して皆んなで停車場へ行く。буфет[ビュッフェ]で又ビールを一杯づつのむ。〈・・・〉僕とШапоринに之からЛенинград[レニングラード]で一ぱい飲み直すから一所に行こうとすすめる。僕はことわったが、とうとうШапоринは一所にгород[街]へ出かける。〈・・・〉

それにしても昼間から夜まで、ビールにワイン、コニャックにまたビールと、お見事というほかない飲みっぷりだ。わざわざレニングラードに出てまた飲み直すというのだから、彼らのすさまじい酒豪ぶりがわかる。鳴海は一日の締めくくりを次のように記した。

В обшем не плохо провел время だ[総じて悪くない時間の過ごし方だった]

十日の午後四時にヨーロッパ・ホテルでショスタコーヴィチ、ソレルチンスキー、ポポーフと落ち合い、タヴリーチェスキー庭園のコンサートへ行く約束をしたというが、十日の日記にその記述は見えない。

鳴海は8月23日にジェーツコエ・セローからレニングラードへ戻ったが、日記にショスタコーヴィチとソレルチンスキーが現れるのはようやく三十日になってからだ。

午后四時Шостакович[ショスタコーヴィチ]の処へобед[お昼]によばれる。Соллертинский[ソレルチンスキー]。晩にСоллертинскийが大きな湯をわかすчайник[ティーポット;湯沸かし]にпиво[ビール]を5立[リットル]買って来る。それを二人とбрудершафт[ブルーデルシャフト]でのみ交す。[この後「すぐна тыで話す」とあるが削除]

彼[ショスタコーヴィチ]とソレルチンスキーと私はお互いに、на ты(君・僕)で話し合う仲になりました。つまり兄弟分の盃を交したわけです。それはお互いの腕を交互に曲げて組み、お酒を飲み交したあと接吻するのがそのやり方です。

巨大な湯沸かしで豪快なブルーデルシャフトを交わした日から約40年後、鳴海はこのように回想している(鳴海完造『滞ソ九年を語る』下巻、昭和55年、27-28頁)。

ショスタコーヴィチ、ソレルチンスキーと名実ともに兄弟分、少なくとも立派な呑み友だちになった鳴海だったが、残念ながら彼らとの交流についてその後いっさい記述はない。

鳴海完造日記そのものが、1931年9月で途絶えてしまったからだ。9月以降は文字どおりの「空白」である。政治状況の変化、全体主義システム強化への動きがそこに反映されていたのだろうか。

現在、私たちの手元に残されたのは、鳴海が帰国[1935年]までに観た芝居のリストだけである。

(つづく)
「比較文化論IV(日・ロシア)」講義用プリントをアップします。

サンクト・ペテルブルク300年.pdf

授業で申し上げたとおり、プリントはいっさい配布していません。

もっとも、PowerPointだけでは制約も大きいでしょうから、必要な方はダウンロード(クリックすれば自動的にダウンロードされます)し、自分でプリントアウトして使ってください。

今日はまるで築地の魚屋のようなだみ声だったね、アタクシ。

声と口跡が命の商売なんですが、ちかごろの無理がたたったようです。

ごめんなさいね、聞きづらくって。
こんどまでには直しておきます。

m(_ _)m

追 伸:
宿題の「エルミタージュ美術館・バーチャル散策」、サイトはこちら

おすぎ。。

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おすぎがホークスからいなくなって本当にさみしい。

試合見ててもなんかが足りない。。

なにが足らんのかなあと疑問に思ってたら、どーデモ良い巨人戦を見てわかった。

おすぎがいない!

去年はおすぎとともに生き、ともに泣いたのだよ、そのおすぎがもういない!!

おすぎにジャイアンツのユニフォームは似合わん!!!と思うのはオイラだけ??

高速バスのなかでタチの悪い風邪を移されたし、ホークスもイマイチだし、くそ忙しいし、テンションあがんねーよな。

ついでながら大見得の一大宣言。

拙ブログで公開してきた記事をもとに本を出します。今年中に原稿完成予定。公開しないのもツマランから公開してるけど、記事の転載は一切不可。

もっとも、ネタはこっちが握ってんだから、転載したってどうしようもないがね。

通り過ぎられて盗まれるのは悔しいからな。(>_<)

甘くみるんぢゃないよ。

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